イラク派遣訴訟控訴審判決

 名古屋高裁が、空自の空輸活動の中に特措法と憲法9条に違反する活動を含んでいる、と判断したことについて、傍論で違憲判断をしたことを非難する論調が目につく。
 訴え却下判決であるから、勝訴した国は上告することができず高裁の違憲判断を争うことができないことに問題がないわけではなく、このような判決が続出することに懸念を抱くことは理解できる。その意味で裁判所は、結論と関係ない傍論での憲法判断には慎重であるべきだろう。
 しかし、このことは傍論での憲法判断が一切許されないということを意味しない。裁判所は具体的な事件に法律を適用して紛争の解決を図るという伝統的な司法の役割に加えて、具体的な事件を通じて憲法秩序を維持するという役割を持っている。付随的審査制のもとでは具体的な事件を離れて、抽象的な憲法適合性の判断ができないが、事件の結論に関係がなくても憲法判断をすることが妥当とする場合はあり得る。
 では、今回の判決はそのような場合にあたるといえるだろうか。本件で問題になっているのは、憲法9条という日本国憲法の基本原則に関わる問題であるが、特措法制定時の小泉首相の発言を思い出してみれば解るように、およそ法的には成り立たないような強引な理屈を並べてまともな議論を拒否して、数の力で法案を成立させたのである。本来なら、このような非論理的な暴論は国会での議論を通じて排除されなければならないが非論理的な暴論を主張する側が議会の多数派であり、非論理的な主張をすることに恥ずかしさを覚えない場合には国会でのチェックは実効性を欠く。
 このように極めて違憲性の高い空自の派遣が、数の力で押し切られて是正もされない場合に、憲法の番人である裁判所が派遣の違憲性を指摘することに問題があるとはいえない。仮に不都合性があるとしても、それはこの違憲状態を放置した場合の不都合性とどちらが大きいかは明らかだろう。

 今回の判決を批判する人たちは、明白な違憲・違法状態が続くことの問題性をどのように考えているのだろうか。
 私には、名古屋高裁の正論が気にくわないが面と向かって憲法判断を非難するほどの破廉恥さを有していない人々が、傍論での憲法判断という点を取り上げて批判しているようにしか思えないのだ。