「伝統」のイデオロギー性4

 G.R.さんのエントリー 伝統のイデオロギー性 思想の対比 にたいするお返事です。

 青龍さまのお考えでは、あるイデオロギーが「伝統」をどう扱うか、という視点が見えてきません。
 具体的に言いますと、保守主義的視点は「伝統」(いちおうこういう呼び方で続けますが、あとで整理します)を保守し、劇的な改変をなるべくしないように考えると思います。
 一方改革を考えるイデオロギーでは、そういった「伝統」を非合理的なものとみなし、自らのイデオロギーが拠って立つ所の理性を用いて社会を運営しようと考えます。この点でこのイデオロギーは「伝統」を否定します。

 G.R.さんの言う保守主義も「伝統」を無条件に維持しようとするものではないでしょう。「劇的な改変をなるべくしないように考える」ということは裏を返せば、劇的でない改変を否定するものでもないし、劇的な改変であっても必要性があれば認めるということです。そこで問題になるのが、その必要性の基準です。保守主義者が「伝統」を改変しようとするときには、必ず「伝統」と改変後の状態を比較する基準が存在するはずです。その基準の集積がその者の持つ価値観と表現されるものといえます。このような観点からすれば、保守主義者もそのような価値観を基準として「伝統」を改変しているといえるし、「伝統」を維持するのも、その者の価値観の許容範囲内であるからということになります。
 では、「改革を考えるイデオロギー」というものはいったいどの様な基準で「伝統」を否定しているでしょうか?その基準こそがその者の持つ価値観でありそれを体系化したイデオロギーなのでしょう。そうすると、G.R.さんのいう保守主義者も改革を考えるイデオロギーを持つものも自らの依って立つ価値観を基準として「伝統」の取捨選択をしている点では何も変わらないのではないでしょうか。もちろん、一般的に保守主義者の持つ基準よりも改革派の基準の方が「伝統」を改変しやすいとはいえるでしょうが、それは質的な問題ではなく量的な問題にすぎません。
 しかるに、G.R.さんの主張によると両者は全く異質なものと扱われ、保守主義者の行う「伝統」の改変は非難の対象とならないのに対し、改革派の行う改変は傲慢だと否定提起な評価をされるわけです。このG.R.さんの評価はダブルスタンダードではないかというのが私の批判の中核です。

 ここで、「伝統」という言葉の確認ですが、私は、その社会が過去から営々と築き上げてきた社会の中で自然発生的に形成されてきた、社会を維持する知恵という意味で用います。これがバークの言う「法の支配」であり、「コモン・ロー」ということになろうかと思います。また、チェスタトンが言うところの「墓石にも投票権がある」ということでしょう。(この点でチェスタトンの言い回しは独特なので、多くの説明が必要かもしれませんが、今は示すにとどめます)


 「伝統」を「社会を維持する知恵」と定義するのであれば、それはまさに合理主義ではないですか。すなわち、この場合の「伝統」は、過去にその「伝統」に従うことによって社会が維持されてきたから現在においてもその「伝統」に従うことによって社会がよりよく維持できるだろうという推論がその正当性を支えることになります。
 しかし、この推論は過去と現在の間に状況の変化(社会環境やそれに伴う人の意識の変化)がある場合、適当だとはいえなくなります。この場合、保守主義者であれ改革派であれ、状況の変化にかかわらず「伝統」を維持することが妥当かをその者の価値基準に従って判断する点では何も変わらないことは前述しました。


 士農工商明治維新も歴史的ダイナミズムの「中」のことであり、保守主義イデオロギーも革命主義(社会主義)政治イデオロギーもそのことどもを「扱う」立場になると思います。

 具体的に言えば国旗国歌の成立も、明治政府が外国と比肩する為に国家としての日本に必要であるとして定めたものであり、考え方としてみればそれ以上のものでも以下でも有りません。ただ、それをイデオロギーとして扱う勢力があるというだけです。また、現在の日本国民の「多く」はそういう政治イデオロギーに与せず、自らの国の「象徴」として現在の国旗国歌を認めているという意味で、イデオロギー性は殆どないか、薄いと思います。

 ここでも「必要」という言葉が無自覚に使われていないでしょうか。この場合の「必要」とは一体いかなる基準に基づいた「必要」性なのかを問うことなく客観的な解があるように扱うことには問題があります。
 その意味で国旗国歌を成立させた当事者も、国民を統合し(この場合は創造といった方が適当かもしれませんが)国家の経済力軍事力を増大させていこうという価値観を有しており、その目的に従って行動していたのです。その意味でのイデオロギーを明治政府の政策担当者を有していたのであり(このことは自由民権運動と政府の対立を例に取ればわかりやすいでしょう、自由民権運動自由主義民主主義というイデオロギーに基づく国家像を提示していたと評価できるのであればそれと異なる国家像を持っていた明治政府の政策担当者もまた何らかのイデオロギーに基づいて政策を決定していたと評価しなければおかしいのです)、彼らとそれを評価する者を質的に異なるように扱うのは問題があります。

 また国旗国歌については前回述べたことの繰り返しになりますが、イデオロギー性を意識しないことはイデオロギー性がないことにはならないという点に尽きます。G.R.さんのレトリックは、国民の多くが初詣の宗教性を意識していなければ、初詣が宗教行為ではないことになるといっているのと同様に論理の飛躍があります。



 フランス革命で行われたことはアンシャン・レジームの破壊であったと思いますが、それは同時にその当時隆盛していた啓蒙主義に基づき、「理性により社会を創造し統治する」という理性主義が発生した契機でもあったと思えます。

 人の理性がその世代において社会を構築するという理性至上主義(中川八洋氏は理神教と呼んでいますが)が社会主義を胚胎させ、やがてソビエト連邦などの社会主義国家が形成されましたが、それらはすべて計画経済の名のもとに、理性により社会を維持しようとしました。これが大きな間違いであったということは歴史が証明したのではないかと思います。保守主義はその理性主義を否定する思想として生まれたという面があると思います。


 ここでも、理性に対する言いがかりに近い非難がなされていませんか。特にG.R.さんの定義する「伝統」がまさに合理主義の帰結であることを考え合わせれば、G.R.さんの理性批判はまさに自己撞着に陥っているといえます。
 また、理性至上主義(こんなものが本当に存在するのか疑問ですが)に社会主義の失敗の責を全面的に押し付けるのも論理の飛躍があります。この論法を使うのなら、「伝統」に執着した大日本帝国の失敗は一体何にその責任を押し付けるのですか?

 さて、ここでひとつ判らないので改めてお伺いしたいのですが、青龍さまはなぜ国旗国歌の「押し付け」という表現をなさるのでしょう。青龍さまの立場からのお考えが、いまひとつはっきりとわかりません。こちらの理解力不足という点もあるかと思うのですが、ぜひ根本的なお考えをお示しいただきたいと思います。

 理由はシンプルです。私は「人は生まれによる貴賤はなく、その人のなしたことだけがその人を評価する基準になる」という価値観を有しています。他方、天皇制は戦後の象徴天皇制も含めて、天皇家に生を受けたということだけを理由に他の国民と異なった取り扱いをしています。このような価値観は私の価値観と相容れないものですから、そのような制度を公的なものとして取り扱うことに反対です(当人が納得している分には私的なものとして取り扱うことには異論はありません)。従って、君が代という天皇の長寿を願う歌(君が代の「君」が天皇を表すというのは国旗国歌法制定時の政府の公式見解でした)を歌う気にもなりません。それは私の価値観に抵触するからです。
 まあ、私が君が代を歌わない理由はそんなところですが、私とは別の理由でその人の思想信条と抵触するから歌わない人もいるでしょう。このようにその人の思想信条と矛盾する行為を強制することを世間一般では「押し付け」るというのではないのでしょうか。
 私としては、G.R.さんがその理由を解らないと仰る点に深刻な危機感を抱かざるを得ません。

 なかなか難しいお話が続き、こちらも悪戦苦闘してエントリしております。自身の勉強不足の感は否めませんし、内容の不備な点お笑いになられているかとも思いますが、どうかご容赦を。

 こちらこそ、私の拙い主張に丁寧に対応していただき、恐縮しております。