自己責任論の暴走

大阪・橋下知事私学助成金削減めぐり高校生と意見交換会 「日本は自己責任が原則」
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00142918.html

大阪府の橋下 徹知事が23日、地元高校生と私学への助成金削減プランをめぐり、意見交換会を行った。
橋下知事と高校生の意見交換会は大激論となった。
激論のきっかけは、財政再建を進める橋下知事が決めた私学への助成金28億円の削減プランだった。
23日夕方、これに反対する「大阪の高校生に笑顔を下さいの会」の12人が府庁を訪れ、橋下知事に直談判した。
意見交換会は、橋下知事の「単なる子どもたちのたわ言みたいにならないように、僕もかなり厳しくそこは反論していくので、そこはしっかり、きょうは議論したいと思いますので、よろしくお願いします」という宣戦布告で始まった。
高校生は「私立にしか行けなかったんです。家は決して裕福ではなく、父親は中学3年生の時にリストラにあいました。橋下知事は『子どもが笑う大阪に』とおっしゃっていましたが、わたしたちは苦しめられています。笑えません」、「僕は今、私立の高校に通っているんですけど、僕の家は母子家庭で、決して裕福ではなくて、僕はそんな母をこれ以上苦しめたくないので、私学助成援助を減らさないでください」と窮状を訴えた。
これに対し、橋下知事が「なぜ、公立を選ばなかったんだろう?」と質問し、「公立に入ったとしても、勉強についていけるかどうかわからないと(教師)に言われて」と高校生が答えると、「追いつこうと思えば公立に入ってもね、自分自身で追いつく努力をやれる話ではあるよね。いいものを選べば、いい値段がかかってくる」と反論した。
この橋下知事の答えに、「だから、『そこ(私立)にしか行けない』って(教師に)言われたんですよ」と泣き出す高校生の姿も見られた。
さらに、別の高校生が「大阪の財政を良くすることは、わたしたちが苦しむことなんですか?」、「ちゃんと税金取っているなら、教育、医療、福祉に使うべきです。アメリカ軍とかに使ってる金の余裕があるのなら、ちゃんとこっち(教育)に金を回すべきです」と涙ながらに訴えると、橋下知事は「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」と切り捨てた。
さらに高校生が「それは、わたしが政治家になってすることじゃないはずです」、「高速道路なんか、正味あんなたくさんいらないと思います」と税金に無駄遣いがあると指摘すると、橋下知事は「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」と反論し、一歩も引かなかった。
そして、橋下知事は高校生たちに「皆さんが完全に保護されるのは義務教育まで。高校になったらもう、そこから壁が始まってくる。大学になったらもう定員。社会人になっても定員。先生だって、定員をくぐり抜けてきているんですよ。それが世の中の仕組み」と社会の厳しさについて語った。
この発言に、高校生から「世の中の仕組みがおかしいんじゃないですか?」と意見が出ると、橋下知事は「僕はおかしいとは思わない。やっぱり16(歳)からは壁にぶつかって、ぶつかって」と反論、「そこで倒れた子には?」との質問には、「最後のところを救うのが今の世の中。生活保護制度がちゃんとある」、「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」と語った。
さらに、高校生から「それはおかしいです!」と意見が出ると、橋下知事は「それはじゃあ、国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」と反論した。
高校生との意見交換は予定されていた20分を大幅に超え、1時間半にも及んだ。
橋下知事は再度、意見交換会を行うことを約束し、終了した。
議論を終えた生徒たちは「悔しいです」、「傷ついている人たちの気持ちなんて、まったくわかってくれてないという感じで」、「結局、自分が悪いみたいな感じで言っていたので、腹が立ちました」などと話し、生徒同士で「勉強せなあかん。負けてたらあかんで。悔しいからな、勉強していろんなこと知らなきゃあかん」と語り合っていた。
一方、橋下知事は「子ども扱いはしません。義務教育終わっているので」、「高校生の皆さんも言いたいことは山ほどあるだろうし、ああいう形で政治的な意見を持っているのは立派なんじゃないですかね」と意見交換会の感想を語った。

(10/24 19:19 関西テレビ)

 知事就任以来の橋下知事の発言のひどさにはうんざりしていたが、今回の発言はいくら何でもひどすぎる。

・今回橋下知事は私学への助成金の削減を決定しているが、この決定が妥当かは様々や要素を考慮しなくてはならない。その中で、大阪府の財政状況を考慮することはいうまでもないが、限られた予算の中で何に優先的に支出するのか(公共事業への支出を減らさないのであれば、公共事業を教育予算よりも優先することが妥当なのか)、増税という選択肢を採らないのか(ここでは増税により負担が増大する者の不利益と教育の重要性のどちらを重視するのかが問われる)も問われなければならない。
 今回、高校生が公共事業を教育費よりも優先する知事の姿勢を批判したこともそのような文脈で捉える必要がある。だから、橋下知事がこの批判に反論するのであれば、教育予算よりも公共事業に予算を優先的に配分することが必要であること、教育の重要性を考慮してもこれ以上の増税は難しいことを丁寧に説明する必要があった(特に橋下知事は、教育の重要性を訴えてきたのだから、それを犠牲にしてでも優先すべきものの重要性を語ることは強く求められるだろう)。
 しかし、橋下知事はそのような説明はしなかった。政策への批判に対しては「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」と切り捨て、知事の意見に賛同できない高校生に対しては「それはじゃあ、国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」と言い放っている。これはもはや議論でも何でもない。高校生は未だ選挙権も被選挙権も持たず、橋下知事のいうように現実の政策を変える力を有してない。彼らに、政治家になって変えろ、できないなら日本から出て行けということは、要するに泣き寝入りしろ、おまえたちの苦しみなど知ったことかといっているのと同じである。
 これでは政治家として求められる最低限の資質を欠いているといわれても仕方がない。


橋下知事は、高校生が自らの窮状を訴えたのに対して、自己責任を持ちだして高校生を非難している。しかし、これも政治家の発言としては不適切きわまりないものである。
 前述したように、橋下知事には私学への助成金の削減という決定について説明責任を負っている。この説明に妥当性がある場合に初めて補助金の削減もやむを得ないと認められ、そのようなどうしようもない状況下の下で誰かが割を食わなければならないという前提があって初めて自己責任が問題とされるのである。
 しかし、橋下知事はそのような前提があるのかをすっ飛ばして、いきなり高校生の自己責任に言及している。このような論法が認められれば、およそ政策の妥当性という重大な問題が隠蔽されることになる。
 ここでは、政治によって不利益を被る者は常にベストを尽くさなかったことを非難される。
 「もっと勉強すれば公立高校に入れた。」
 「受験に失敗したのが悪い」
 およそ、全てのことについてベストを尽くしている者などいない。追及しようと思えば誰にだってつけいる隙は存在する。格差問題、偽装請負ワーキングプア、ホームレス、どれにしたところで、政治に救いを求める者のほとんどはベストを尽くしたととはいえないだろう、彼らの自己責任に言及して彼らを救済しないことは実に容易い。
 しかし、そのような社会が本当にまともといえるだろうか。
 確かに、今回の高校生の中には十分な努力をしなかった者もいるかもしれない。もっとがんばれば公立高校に行けたかもしれない。しかし、彼らは私立高校に入学しそこで勉強をしている。そんな彼らが助成金の削減により学業を継続できなくなってしまう。高校進学率が95%近くになり、中卒では就職も難しい。他方で彼らと同程度の学力の者でも親に資力があれば、補助金が削減されても、高校、大学へ進むことができる。
 ここで問われるべきは彼らの自己責任ではない。義務教育でないとはいえ、国民のほとんどが進学し将来の生活にも重大な影響を与える高校教育を、そこで学ぶ能力を有しているにもかかわらず、資力を理由に受けることが出来なくなるという状況を社会が容認するのかが問われているのである。
 橋下知事が教育の重要性を叫ぶのであれば、そのような社会を正当化するにはよほど強度の理由が必要となるであろう。そして橋下知事はそのような説明をしていない。にもかかわらず、高校生の自己責任を問うことで、何も説明しないまま不利益を高校生に押しつけようとしている。権力者が社会的弱者に対して押しつけようとする自己責任論がいかに醜悪であるか、橋下知事の今回の発言はそれを見せつけてくれた。