所属組織に圧力をかけるやり方は最悪である 2

 foobarさんと無学さんからコメントをいただきましたので一つずつ回答したいと思います。

 まず、foobarさんのコメントについて

しかし、言論の自由とはそれを行使した結果に対する責任も生じると思うの
だが。 責任を考えなければ、所属機関に抗議することも言論の自由によって
守られるべき対象ではないのでしょうか?

 言論の自由には責任も伴うのは当然のことであり、私もそれを否定するつも
りはありません。瀬尾准教授の発言内容に問題があれば、彼女がその点につい
て非難を受けることは当然でしょう。
 問題は、責任が生じるということが、なぜ所属機関への抗議を容認すること
に直結するのかということです。

 私が思うには、瀬尾淳教授は、ブログへの発言の前に自分が、キリスト教
教育機関の一教育者であるという立場を考え、内容はともかく、表現方法を自
身の所属する機関に対して迷惑が掛からないようにすべきであったと考えます
。 しかも、匿名での発言であれば問題なかったのだが、彼女は、自分の所属
機関とその中での立場を明かしてます。 所属機関に抗議がされるのは当然な
のではないでしょうか?  Disclaimerもなかったしね。

 所属機関を明かしたから、所属機関に抗議が為されるのがなぜ当然になるのか。その間の論理関係が解りません。
 瀬尾准教授は確かにBlogで自らの肩書きを明かしていますが、准教授の職務としてBlogを書いているわけではないし、Blogのドメインも大学とは関係のない民間のブログサービスのものです。
 従って、彼女のBlogでの発言はあくまで職務を離れた私的な活動と評価すべきものですし、彼女を批判する人にもそれは容易に理解できるはずです。

 そして、瀬尾准教授と青山学院大学の関係はあくまで、彼女が准教授としての職務を遂行する限度において問題とされるのであり、職務を離れた私的な活動については大学には介入する権限も義務もありません。

 また、彼女の私的な発言について大学に抗議することが許容されるためには、大学に彼女の発言について何らかの責任があることが必要です。では大学の責任とは何でしょうか。
 彼女の私生活に介入する権限が大学にない以上、発言が為されたこと自体について大学の責任はないですし、また問うべきでもありません。大学自体の行為によって被害が生じた・又は拡大したというのであれば責任は生じるでしょうが、今回の件ではそのような事情はありません。また、大学のサーバーで今回の発言が公開されていたのであれば、それを放置していた責任が大学に生じるでしょうが前述のように今回の事例では大学とは無関係の民間のBlogサービスが利用されている以上そのような事情もありません。
 では、彼女が大学の准教授として認容されていたこと自体が被害と因果関係があるといえるでしょうか。私はないと考えます。彼女の発言によって生じた被害というのはあくまで彼女の発言がひどいものであったからであり、青山学院大学の准教授であることによって被害が生じたり拡大したりしたものではないからです。
 このように考えてみると、彼女の発言によって生じた被害はあくまで彼女の発言の結果生じたものであり大学にはその被害を発生させたり・拡大させたりした責任はないといえるでしょう。
 
 大学に責任がない以上、大学を非難するのは筋違いですし、前述したように大学には瀬尾准教授の私生活に介入する権限も義務もない以上、大学に責任を問うても無意味です(というより、意味があったらまずい)。従って、瀬尾准教授の発言について大学の責任を問うことは二重の意味で不見識です。

つぎに無学さんのコメントについて

 抗議する場が無くなったら所属組織を自分で明記しているので、そちらに抗
議が行くとこの准教授は想像できなかったのでしょうか。いえ、ご本人は、き
っちり理解されています。

 メールアドレスは公開されているし、自らのBlogなど抗議の場はいくらでも存在します。また、大学に所属されているのであれば、大学の彼女の研究室宛に手紙を送ることもできます(これはあくまで彼女個人に届くものであり、大学に対する抗議ということにはなりません)。
 あなたのいう抗議の場所がないというのは、単に抗議をしても返答が帰ってこないというだけではないですか?残念ながら彼女には批判者の抗議に個別に答える義務はありません。もちろん答えない結果非難が激しくなるとともにそれを放置した彼女の社会的評価も低下するでしょうがそれは彼女の責任です。
 しかし、foobarさんへの回答で前述したように、彼女の私的活動について大学に責任がない以上、大学に抗議をすることは筋違いであり、筋違いな抗議の可能性を理解していたから、大学への抗議が正当化されることにもなりません。

 例えば、seiryu95さんが会社員という立場だとしましょう。
公道で(ネット上で)自分の会社名(所属名)と会社の住所(所属大学ゼミの
ホームページ)を晒して、以下のようなプラカードを下げたらどうでしょうか

それを見た一般通行人は、どう反応するでしょうか?
もちろん、seiryu95さん個人の住所・電話番号等の連絡先は分かりません。

>>○○小のブラスバンド「○○○○○○」が今日土曜日も早朝から騒音を撒き
散らし
>>ている。
>>近隣の迷惑を気にしない教育で育った子供はそのうち万引きをしたり泥棒を
したり殺
>>人をしたり、「気にせず迷惑」をエスカレートさせてゆくだろう。

(注)○○小というのは、原文では自宅近くの小学校を実名で記載。○○○○
○○は、該当小学校の校長の名を模したブラスバンドの名。

 まず、このような発言の主体として私の名前をわざわざ出してくるのはあまり気分のいいものではありません。ネットにおける発言が他人に与える不快感を問題にされているのであれば、そのあたりに気を遣わないのはどうかと思いますが。
 私がこのような抗議行動を見たらその場で本人に問題を指摘するでしょう。
 またこの発言は小学校児童に対する侮辱罪に該当するものですから、私的にもかかわらず同様の抗議を続けるのであれば、警察に連絡しておきます。侮辱罪は親告罪ですから、警察はプラカードが侮辱罪に該当するものであることを警告するとともに、被害者である小学生及び小学校の校長の告訴の意思を確認することになるでしょう。
 これとは別に私もこのBlogでプラカードの内容を非難することになるかもしれませんが、その際に会社の名前が判っていてもそれを公表することはしないでしょう。

 無学さんがこの例を出すことで何を主張したいかは解りますが、例としては二つの意味で不適切です。まず一つは、瀬尾准教授の事例では彼女自身に連絡を取ることが可能である点でプラカードの例とは異なること。二つ目は、プラカードの例で仮に本人の連絡先を知るために問い合わせる必要があると認められる場合であっても、それはあくまで会社への連絡先の問い合わせであり、会社自身への抗議とは質が異なるということです。

 まず、この発言が、「言論」というものに値するのでしょうか?私には、便
所の落書き程度にしか思えませんが、内容に関わらず「言論」でしょうか?
また、これを非難・抗議出来るのは、該当小学校のブラスバンド部員とその保
護者または教職員だけでしょうか?一般人は批判は出来ないのでしょうか?
もし私が、批判を会社の広報にしたら?私一人でなく抗議が集中してしまい、
会社の上司に発覚し、seiryu95さんに対して「そんなこと二度とするな」とか
、「発言する内容や言い回しには気をつけなさい」と上司が注意をしら、
seiryu95さんは会社と関係ない一般人に「圧力」をかけられて「言論」の自由
が踏みにじられた!と学者や弁護士に訴えかけますか?

 この発言が「言論」というものに値するか、という点についてはしないと即断はできないと思います。プラカードの例では抗議者はブラスバンド部の活動から生ずる騒音により被害を受けている可能性があり、それに対する抗議の表現として不適切なものがあったとしても、抗議活動全体が「言論」としての保護を受けないと軽々しくいうことはできないからです。
 抗議者に対して一般市民が抗議するのは何も問題がありません。行動という公共の場所で自分の主張を表明した以上、それに対して自らが反論されることは甘受すべきだからです。
 しかし、プラカードの例で会社に抗議者の私生活上の活動について責任がないのは大学と同じである以上会社に対する抗議は筋違いであるとともに無意味です。抗議は抗議者本人に対してすれば十分ではないでしょうか。

(追記)「光市事件の死者は1.5人」 問題発言准教授を青学が処分へ

 青山学院大学は何らかの処分を検討しているようです。
 瀬尾准教授に同情する気にはなれませんが、青山学院大学には学問の府としての矜恃を改めて問いたいです。